見たかった映画のDVDが発売になっていた。
『ROAD ディスティニー・ オブ ・TTライダー』
このドキュメンタリー映画「ロード」は、想像を超えるロードレースの世界で生きる彼らのドラマチックな人生を追った、栄光と悲劇の物語である。
※上手く再生できない時はこちらから
このドキュメンタリー映画「ロード」は、想像を超えるロードレースの世界で生きる彼らのドラマチックな人生を追った、栄光と悲劇の物語である。
ロードレースはすべて公道から始まった。1949年に行われた初のロードレース世界選手権の舞台に名を連ねたのが“マン島TTレース”であり、“アルスターグランプリ”であった。
閉鎖された公道を時速320キロという脅威のスピードで駆け抜ける。その驚愕のロードレースは、挑むものに高い能力と並外れた勇気を求め、ファンは熱狂した。
アイルランド、そしてマン島で歴史は受け継がれ、熱きライダー達の血脈が途切れることはなかった。その歴史に深く名前を刻み続けるのがダンロップ一家だ。マン島TTの伝説のライダー、ジョイ・ダンロップ。兄ジョイに憧れてライダーになり、レース中の事故による再起不能から甦ったヒーロー、ロバート・ダンロップ。そしてロバートの2人の息子、ウィリアムとマイケル。
北アイルランドで生まれ育った2世代に渡る2つの兄弟は、愛すべきロードレースにすべてを捧げ、宿命の道を突き進んでいく。
閉鎖された公道を時速320キロという脅威のスピードで駆け抜ける。その驚愕のロードレースは、挑むものに高い能力と並外れた勇気を求め、ファンは熱狂した。
アイルランド、そしてマン島で歴史は受け継がれ、熱きライダー達の血脈が途切れることはなかった。その歴史に深く名前を刻み続けるのがダンロップ一家だ。マン島TTの伝説のライダー、ジョイ・ダンロップ。兄ジョイに憧れてライダーになり、レース中の事故による再起不能から甦ったヒーロー、ロバート・ダンロップ。そしてロバートの2人の息子、ウィリアムとマイケル。
北アイルランドで生まれ育った2世代に渡る2つの兄弟は、愛すべきロードレースにすべてを捧げ、宿命の道を突き進んでいく。
~以上、公式サイトから
※上手く再生できない時はこちらから
マン島TTのビデオを初めて見たのは、今から20年以上前のこと。
現在も交流がある某ブロ友さんの家に友人と遊びに行き、なぜかHなビデオを皆で鑑賞中、突然お兄さんが入ってきて兄弟で軽い言い争いが勃発…お兄さんは出て行ったが、テレビの画面にはアハ~ンアハ~ンとHなビデオが流れ続けていて微妙な空気が漂っていた。
そんな空気に堪え兼ねたブロ友さんが『こんな時はコレでしょ』と見せてくれたのがマン島の公道レースのビデオ(なんじゃそりゃ)。
もちろん、雑誌でマン島TTの事は知っていたが、その時に映像として見たインパクトは凄まじく、それまで見ていたHビデオの事なんかすっかり忘れて、公道をあり得ないスピードで走り抜けるレーシングライダーに釘付けになっていた。
もちろん、雑誌でマン島TTの事は知っていたが、その時に映像として見たインパクトは凄まじく、それまで見ていたHビデオの事なんかすっかり忘れて、公道をあり得ないスピードで走り抜けるレーシングライダーに釘付けになっていた。
憶えている方も多いと思うが…
9年程前に三宅島の噴火災害復興イベントとして当時の石原都知事が三宅島での公道レースをやろうと提唱していた。
その話を最初に聞いた時、私はマン島TTの様なレースが日本で開催されるかもしれないという事に凄く興奮した。
しかし、石原慎太郎氏は会見で
『危険を承知で、死を覚悟して彼らは走っている。だから美しい。ヨットのレースも同様で海に落ちれば死を意味する。彼らは承知の上』という内容の発言をした。ライダーの自己責任でもある…と。
そして、安全性を軽視するとも取れる都知事の考えに国内4メーカー(ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキ)が協賛を拒否。
1.幅員が6-7mと狭く道路沿いに家屋や石垣などがある。緩衝材などで対策しても安全性は不十分
2.都内の総合病院まで最短40分かかり、救急設備も不十分
3.車両の安全地帯がなく、事故の場合は二次災害が懸念される
以上の結果、三宅島での公道レースは開催するべきではない。
という内容の提案書を都とMFJに提出している。
結局、白バイの先導付きで三宅島の周遊道路を参加者が持ち込んだバイクでパレードするというレースとはかけ離れたイベントとなったが、石原氏は来年こそは公道レースをと諦めなかった。
だが、翌年も同じ様なイベントとなり、3年目には遂に4メーカーも協賛するが、それは即ち公道レースの開催が無くなった事を意味していた。
2010年からはイベント名を『WE RIDE三宅島』としてオフ車によるエンデューロレースをメインとして現在も続いているが、オンロードバイクはイベントから締め出された形になってしまったのが残念だ。
マン島TTの様なレースが三宅島で開催される事は無くなった訳だが、これで良かったと思う。
レーシングライダーは決して命を落とす覚悟なんてしていない。
それどころか常に安全性を求めて運営側に意見している。彼らは命を懸けて走ってる…なんて言う人は外側からしかレースを見ていないんだと思う。
2007年には全日本選手権に参加していたライダーが立て続けに亡くなった。
ST600でポイントリーダーだった奥野正雄選手、同じくST600に参戦していた沼田憲保選手、そして…ノリックこと阿部典史選手。
私はノリックが大好きだったので、非常にショックを受けたと同時に世界的なレーシングライダーですら公道では関係無く事故に遭うのだという事を思い知らされた。
日本では一般的にオートバイのイメージは今も決して良くない。文化の違いはあるが、三宅島では実現しなかった世界がマン島にはある。
このドキュメンタリー映画を観れば少しはその世界が見えてくるのだろうか?
1.幅員が6-7mと狭く道路沿いに家屋や石垣などがある。緩衝材などで対策しても安全性は不十分
2.都内の総合病院まで最短40分かかり、救急設備も不十分
3.車両の安全地帯がなく、事故の場合は二次災害が懸念される
以上の結果、三宅島での公道レースは開催するべきではない。
という内容の提案書を都とMFJに提出している。
結局、白バイの先導付きで三宅島の周遊道路を参加者が持ち込んだバイクでパレードするというレースとはかけ離れたイベントとなったが、石原氏は来年こそは公道レースをと諦めなかった。
だが、翌年も同じ様なイベントとなり、3年目には遂に4メーカーも協賛するが、それは即ち公道レースの開催が無くなった事を意味していた。
2010年からはイベント名を『WE RIDE三宅島』としてオフ車によるエンデューロレースをメインとして現在も続いているが、オンロードバイクはイベントから締め出された形になってしまったのが残念だ。
マン島TTの様なレースが三宅島で開催される事は無くなった訳だが、これで良かったと思う。
レーシングライダーは決して命を落とす覚悟なんてしていない。
それどころか常に安全性を求めて運営側に意見している。彼らは命を懸けて走ってる…なんて言う人は外側からしかレースを見ていないんだと思う。
2007年には全日本選手権に参加していたライダーが立て続けに亡くなった。
ST600でポイントリーダーだった奥野正雄選手、同じくST600に参戦していた沼田憲保選手、そして…ノリックこと阿部典史選手。
私はノリックが大好きだったので、非常にショックを受けたと同時に世界的なレーシングライダーですら公道では関係無く事故に遭うのだという事を思い知らされた。
日本では一般的にオートバイのイメージは今も決して良くない。文化の違いはあるが、三宅島では実現しなかった世界がマン島にはある。
このドキュメンタリー映画を観れば少しはその世界が見えてくるのだろうか?